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観終わった後、ずっしりと重いものを与えられたような感覚におそわれた。その重いものの正体の1つは、映画の元になっているこの事件の史実。朝鮮人差別そして部落差別という今尚日本に残る差別とそれがひき起こす暴力。事件の原因をデマによる扇動や同調圧力だけに求めるのは間違いだ。朝鮮半島の植民地支配で日本がおこなってきた数々の差別と蛮行が、まさに日本政府の政策ですすめられてきたこと、その帰結が関東大震災後の朝鮮人虐殺ではないか。もう1つの重いものは、映画としての、もっといえばエンターテイメントとしての重厚さだ。時に観るものを裏切る巧妙な脚本と一流の俳優たちによる演技が結実して、映画のおもしろさが詰め込まれた作品だった。
驚いたのは、平日の昼間に関わらず、テアトル新宿の座席は満席。パンフレットも既に売り切れ。次の上映会にも長蛇の列。個々がどんな感想を抱くのかは分からないが多くの人がこういう映画を観て少し考える時間を持つことはいいことだと思った。
戦後78年、戦争経験者はごく少数とはなったものの、自らの経験を語る機会はかろうじて残っている。一方で関東大震災からは100年、さすがに経験した人はほぼ存命していない。一足先に経験者がいない世界に突入しているのだ。経験者がいないということは、負の歴史が無かったことにしたい人たちにとっては都合がいい。実際、朝鮮人虐殺について「何が明白な事実かについては、歴史家がひもとくものだ」などとうそぶく都知事がいる。「記録が見当たらない」と世迷い言を言い放つ官房長官がいる。そういう彼らにこの映画を観てほしい。
監督:森達也、2023、『福田村事件』。
映画視聴日:2023年9月5日
映画館:テアトル新宿
関連ページ:
森達也『虐殺のスイッチ──一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか?──』
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