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波多野澄雄『日本終戦史1944-1945』

「あの降伏の時期が、実際よりわずか二週間をはさんで早められたか遅れたかだけでも、戦後の世界の情勢は著しく違ったものになっていたであろう。二週間前に降伏していれば、原爆投下もなかったし、ソ連の参戦も起こらなかった。二週間降伏がのびていたらロシアの極東進撃はさらに進んでいただろうし、日本の破壊も回復できぬものとなっていたであろう」(波多野 i、2025)。1945年8月15日の降伏・敗戦について、ライシャワー元駐日アメリカ大使が述べていた言葉。二週間の違いは戦後世界の姿を大きく左右したであろう、と。当時は明日どうなるのか誰もが皆目見当がつかなかったわけだが、あと二週間遅れていたら想像もつかない地獄が待っていたことだろう。この本は終戦までの2年間指導者たちが何を考え何をしたのかまとめたもので、自分の知識としては既に知っていたことが多かったが、あの戦争を、日米戦争、日英戦争、日中戦争、日ソ戦争の4つの複合戦争だと定義し、日米戦争を終結させることで他の戦争も終結に至ったという視点は納得できる見方だ。余談だが、あの戦争を何と呼ぶかはその人の思想信条が現れると思っているが、筆者は「大東亜戦争」と書いている。これには閉口してしまうが、主語を当時の軍を含めた指導者たちとする本書に限ってはこの呼称が適切なのかも知れない。

以下、印象に残った箇所を引用。「「場合によっては二・二六のようなことがないとは限らぬ」という危惧は米内や高木のみのものではなかった」(波多野 177、2025)。その空気は強く感じるし、開戦当初から続いていたことであり、戦争終結が容易に決断できなかった理由もそこにあろう。実際8月14日の宮城事件が起きたわけであるし。「敵の数を徐々に増やし、その収拾に手を焼き、いたずらに戦争を長引かせ、最後には天皇の権威にすがってようやく対米戦争を終結させた」「未曾有の対外危機にあっても、国内政治や組織の利益を優先させる政軍指導者の姿」(波多野 280、2025)。まさしくそれに尽きる。


波多野澄雄、2025、『日本終戦史1944-1945』、中央公論新社。






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