今の自分を形作ったもののひとつとして「渋谷陽一」を外すことはできない。去年、訃報に接した時にそう思った。特別に熱心なフォロワーだったわけではない。中学生の頃から20代にかけて、彼がDJをしていたNHKのFM番組を聴いていた程度だ。それでも、音楽に対する評価の姿勢、常に批判的な眼差しを向けること、「新しい」ものが本当に「新しい」ものなのか、社会的な背景を含めて考えること、そんな性向が見についてしまった。言い換えれば、何に対しても「ひねくれ」た物の見方をするようになった。それは彼の影響無しには考えられない。それ故に彼の主張も妄信しない。この本でも状況に対する怒りが文面から溢れていて小気味よい。「ライオネル・リッチーにも国防婦人会の中にも悪意は存在していない。むしろ彼らの中では一種の使命感が息づいているのだろう。そこが不気味なのである。そうした種類の善意は単純な悪意より抑圧的に機能するのである」(渋谷 1996、74)。こんな文章に触れると、痛快であり、且つ、一種の懐かしさ(それは自分自身に対するもの)すら感じる。
渋谷陽一、1996、『ロックはどうして時代から逃れられないのか』、ロッキング・オン。

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