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「尊い犠牲の上に、今の平和がある」という語りが繰り返される。こんな言葉は、まやかしであり責任逃れとしか言いようがない。その「尊い犠牲」のある意味シンボリックな存在が「特攻」であろう。この本は「特攻」とは何だったのか、様々な資料や証言の取材を通じて明らかにする。「たしかに死んでいった若者たちは尊い。一方で「英霊史観」は、特攻という作戦を批判すると、あたかも特攻で死んだ者たちをも批判するような構図になりがちだ」「それは「英霊」たちをいわば人質にして、「外道」作戦としての特攻への批判を封じ、それによって責任の所在を見えにくくするものである」(栗原 2015、141)。「特攻自体がすでに合理性を放棄した異常な「作戦」である」「「特攻=美しい物語」には回収できない」(栗原 2015、145)。特攻がおこなわれた戦争末期、日本は満足な飛行機も燃料も無かった。多くの優秀なパイロットも失っていた。「特攻は戦果そのものより出撃すること、敵に突っ込むことが自己目的に転化していた」(栗原 2015、108)。まさに死ねばいいという空気だ。戦後、「特攻=美しい物語」が何度もドラマや映画、小説などで再生産され続けている。何も知らない若い世代に作られた物語が浸透していくのは恐ろしい。
栗原俊雄、2015、『特攻──戦争と日本人──』、中央公論新社。
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