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アイオワ大学が主催するIWP(インターナショナル・ライティング・プログラム」に参加した体験を綴った小説ともエッセイともつかない作品集。IWPとは世界各国から作家が集まって十週間を過ごす、1967年から毎年開催されているプログラムだという。かつては中上健次も参加している。柴崎友香の小説は芥川賞を受賞した『春の庭』をはじめ数作を読んだに過ぎないが、描かれていたのはどれも日本に暮らす市井の人々の個人的な日常世界というべきものであったので、本作には作家の意外な一面を感じ取れた。時は2016年、トランプとヒラリーの大統領選挙の年。トランプの勝利に戸惑う人々も描かれる。そして、世界中の多様な国からの参加者との対話と、アメリカという国を見つめながら、果たして日本はどうなのかという問いにつながっていいく。
「日本は、民族としての日本人と、日本の国の領域と、日本語を話す人と、その範囲がだいたい重なっていて(現実はずっと多様で変化も進んでいるが、マジョリティの持つイメージはそうなっていて)、それは世界の国の中ではどちらかというと少数派ではないか」「『日本国』のイメージも近代以降に形成されたものだが、ずっと昔からそうだったように、『日本人』という意識を持っていたようになんとなく思っているというか、そもそも一つ一つの概念について根本的に考え議論するような機会は少ない」「最初から決まっている、生まれつき、当たり前、正しい、そんな言葉で、当てはまらないと判定したものを簡単に排除してしまう」(柴崎 2018、162-163)。思わず、はっとさせられる。腑に落ちる指摘ではないか。
さらに、ニューオーリンズの「第二次世界大戦博物館」を訪れた時の戸惑いも興味深かった。「日本でわたしがそれまでに行ったことのある戦争関連の資料館には、軍隊の装備や兵器はあまりなかったし、戦争の経緯や戦況を開設した展示も少なかった。戦争によって人々の生活がいかに困窮し、どれだけ被害があったか、焼けて変形した建物の残骸や生活用具、当時の写真がメインだった。」「この博物館にある『戦争』はそれとはかなり違う。それは、負けたか、勝ったかの違いだけなのだろうか。」「日本は戦争を天災のようなものだととらえている」(柴崎 2018、206-207)。まさに同じような疑問を自分も感じる。
柴崎友香、2018、『公園へ行かないか? 火曜日に』、新潮社。
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