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柴崎友香『週末カミング』

4・13 城北大空襲とは何であったか

 4月26日に開催された「4・13 根津山小さな追悼会空襲学習会」に参加した。根津山とは、現在の南池袋公園周辺で、大型防空壕があり避難者が集まった場所であった。そして多くの犠牲者の仮埋葬地となったそうだ。城北大空襲は3月10日の東京大空襲に次ぐ、市街地への大規模な無差別空襲で、2,500名の死者を出した。3月10日の空襲に比較すると死者が少ないように見えるが、むしろ3月10日が傑出して死傷者が多かったとみるべきとのこと。防空法で定められた初期消火の義務が避難を遅らせた面が大きかったとみられる。

米軍の目的は王子や赤羽の陸軍関連工場であったそうだが、実際は居住地域が圧倒的。立教大学や巣鴨プリズンには投弾されていないことから、米軍は精緻に目標を定めていたのではと推測される。余談だが、一連の空襲を指揮した司令官カーチス・ルメイに対し、戦後日本は、自衛隊育成に貢献したとのことで勲一等旭日大綬章を授与したというから開いた口が塞がらない。


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