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大谷正『日清戦争──近代日本初の対外戦争の実像──』

1945年8月無残な敗戦に至った歴史を、15年戦争とも言われる1931年の満州事変から始まる問題の帰結と捉えてきたところがある。しかし、横浜で開催された「戦争の加害」パネル展に行って、そして映画『福田村事件』を観て、その認識は誤っていたと分かった。

1931年に突如として軍国主義が勃興したのではない。明治以降の富国強兵政策のなかで社会の隅々に病理の萌芽が生じていたのではないか。1923年関東大震災直後の朝鮮人虐殺も、その流言飛語が飛び交う下地があったから起きたことなのだ。「司馬史観」という言葉がある。幕末から明治にかけての時期を、総じて希望に満ちた成功物語として描いた司馬遼太郎の作品にみられる歴史観といったところであろうか。明治の戦争である日清戦争、日露戦争は日本の国際的な地位を高めた「良い戦争」という文脈で語られることが多い。学校の歴史の授業でも不平等条約の撤廃につながったと好意的に語られる。本当はどのようなものだったのか。この『日清戦争──近代日本初の対外戦争の実像──』を読んだ。

まず開戦前、当初伊藤博文内閣は日清協調論をとってきたが、政権の内外やジャーナリズムの多数が強硬論に同調したため、開戦への道を選択せざるを得なくなったようだ。そして戦闘のなかでは、「日本兵が敗残兵を捕虜にせず無差別に殺害したり、捕虜と民間人を殺害した」(大谷 2014、129)と欧米の従軍記者に報道されてもいる。「日清戦争」と日本では呼んでいるが、実際には朝鮮、清、台湾の異なった相手との複合戦争、そして侵略戦争と言うべきものであったことが分かる。著者は「日清戦争は朝鮮独立を助けた正義の戦争」「日本は国際法を遵守した」など根拠がない言説がいまだにまかり通っていると主張する。


大谷正、2014、『日清戦争──近代日本初の対外戦争の実像──』、中央公論新社。

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